明神下遺跡発掘調査 現地説明会へ

2020 11 13
先日、4月から発掘調査を進めてきた若柳の明神下遺跡の現地説明会が行われ、県内初の平安時代の飾りなどが多数出土したことも分かり多くの参加者が集いました。
20201110明神下遺跡1
場所は於呂閇志胆沢川神社を下りた北側になります。
今回、(公財)岩手県文化振興事業団 埋蔵文化センターの方に説明頂きました。
20201110明神下遺跡2
初めに説明されたのは竪穴式住居跡。
奥に見える積み重なった石はかまどの跡。
その他にも使われていたものがきれいに残っている状態で珍しいようでした。
20201110明神下遺跡3
かまどの場所には煙が住居の外に出るように作られていることが分かり、かまどのほかにも火を使っている痕跡があり住居ではなく工房だったのではないかと…
想像は広がるばかりです。
20201110明神下遺跡5
これは陥し穴と呼ばれる狩りをするときに獲物を落とす穴になります。
10以上の陥とし穴が東西に延びているのでこの辺りが獣道だったのかもしれないですね。
20201110明神下遺跡6
黒く見えるのは何だろう?
木が燃えたあとなんだそうです。
このようなものも残っているというのが不思議でなりません。
この木が何の木なのか、火災なのか故意なのかこれから調査するそうです。
20201110明神下遺跡7

そしてこれらが今回、明神下遺跡から出土したものの一部となります。
土師器、須恵器、貴重な灰釉陶器、緑釉陶器、大理石の石帯なども発見されたことから貴族階級の人たちが住んでいた可能性も出てきたようです。
20201110明神下遺跡8

そしてこちら、お墓も発見されました。
頭にかぶせていた内耳鉄鍋や「永楽通宝」7枚も見つかり、こちらは戦国時代から江戸時代のあたりのお墓ではないかとの予測がなされていました。
20201110明神下遺跡11

身近な場所でとても貴重なものが見つかったことにより来年度も奥の調査が続くようなので、調査結果を楽しみに過ごそうと思います。
20201110明神下遺跡10

小山飛行場

2019 10 14
稲刈り時期の9月末
小山飛行場の勉強に若柳小学校6年生が訪れていました。
20190930小山2 (460x259)
本日の先生は いさわ散居ガイドの会の鈴木会長です。
特攻専用の秘匿飛行場として計画された小山飛行場。
特攻とは何か、戦争で男手がない中、君たちより少し大きいくらいの中学生2千数百人があつめられ3か月余りの間に完成させたこと。
その作業は重労働の中、不衛生で、シラミで身体中かゆくなったり、食糧もわずかでお腹が空きすぎて近くの民家に食べ物を求めたり大変なものだったことなど詳しく説明していました。
20190930小山3 (460x259)
児童たちの後ろに広がる田んぼが滑走路があったところです。
秘匿飛行場としてつくられたので、上空から飛行場に見えないように、民家や樹木にキャスターをつけて滑走路のうえに配置したいたことをきくと、児童たちからは「えぇー!」と驚きの声が上がっていまいた。
20190930小山1 (460x259)
終戦直前に完成した小山飛行場でしたが、小山飛行場に飛来したのはわずか数機だったそう。

自分たちの住んでいる近くに戦争の跡があったとは知らなかった児童たち。
今日学んだことを後日発表する時間があるそうです。
ぜひその時間もお邪魔したいと思います。


幻の小山飛行場
胆沢まるごと案内所ブログ→こちらもご覧ください。

葦名堰内部へ

2019 09 06

胆沢小山の葦名堰が一般公開されたので行ってきました
約400年前、60年ほどの歳月をかけ完成された葦名堰。
本来は衣川の増沢から胆沢の二の台までの24kmほどの長い距離ではありますが、崩落などのため通ることができない部分がほとんどのようです。

20190905葦名堰公開4

20190905葦名堰公開5


公開されたのは最終湧出口から100メートルほど。
通常であれば内部は150センチほどの水で満たされているそうですが、一般公開の都度ポンプで汲みあげ通行できるようにしているそうです。

20190905葦名堰公開6

今回は葦名堰史跡保存会の副会長の菅原様に案内して頂きました。
湧出口も崩落したそうですが、5年前に修復作業をしたそうです。

20190905葦名堰公開7

さあ、内部へ。
しばらくは腰をかがめてしか進めず、少しでも頭を上げると「コツッ!」と頭をぶつけてしまうほどの低さです。
そしてひんやりとしています
腰が、、痛い(つД`)ノ
400年前の人はこのくらいの背丈だったのだろうか?

20190905葦名堰公開8

奥に見える木の棒、400年前のままだそうです
見えづらいですが、削れてボロボロなんです。
この辺りからしばらく高い天井が続きます。

20190905葦名堰公開9

頭上に石を重ねた場所があったのですが、
もしかしたら神棚のようなものが飾られていたのではないかと…

20190905葦名堰公開10

内部には多くの小さな穴のようなものが掘られています。
ロウソクのようなものをおくためだったのでしょうね。

20190905葦名堰公開11

ここから横の出口へ。
横の道は、中の石や泥を運ぶための出入り口だったようです。
その中の土などを外へ積んだので盛り上がって山のようになっているのでは?とのことでした。

20190905葦名堰公開12

ここも非常に細く天井も低いため体勢を低くしていくのですが、コウモリが飛びまわりビクビクしながら通ります。
出口が見えてきましたね。

20190905葦名堰公開13

20190905葦名堰公開14

20190905葦名堰公開15

時間にして30分ほどでしたが400年前に作られた堰内部は本当に人の手だけで作られたのかと驚くものでした。
削りやすいやわらかい岩のようでしたが、それでもかなりの苦労があり、そして技術があったのだろうとの保存会の皆さんの様々な話を聞かせて頂きました。

昔からそれだけ農業が大事なものだったとの話に納得。
水はやはり大事な資源なんだとの再確認もできた1日でした。

葦名堰一般公開!

2019 09 05
胆沢小山五反町地内にある葦名堰湧出口付近が本日、一般公開されます。
通常は水が多いため入ることができませんが今回、ポンプを使い水を汲みだし入口から100メートル程を見学することができます。

葦名堰は今から400年前二の台地域への通水を目指して開削され完成したといわれています。

20190903葦名堰1

20190903葦名堰2


先人の知恵と偉大な史跡を見に行ってみませんか?

葦名堰一般公開
 9月5日(木) 午前10時~午後3時まで


私も行ってきます

葦名堰(二ノ台堰)のリーフレットが完成!!

2018 02 20
毎年、見学会を開催し地域の宝『葦名堰』の保存・継承活動に取り組んでこられた
『葦名堰史跡保存会』さんが、この度『400年記念事業実行委員会』を立ち上げ、
その事業の一環として葦名堰のリーフレットを作成されました✨
asinapanfu2.jpg
asinapanfu1.jpg
衣川の増沢から小山二ノ台まで通水していた葦名堰、
出来上がったリーフレットには、
地形を生かして通水された堰のマップや各隧道の呼び名なども記されています。


2018年2月24日(土)午前には
胆沢区小山二の台地区振興会館で
葦名堰開削四百年座談会が開催されます。
asinazadannkai (336x480)
葦名堰四百年をたどると題される講演には、
講師に奥州市 元学芸員の佐々木いく子氏と
    葦名堰史跡保存会顧問の高橋岑生氏をお迎えします。

どなたでもご参加できますので、ぜひお出かけください。

お問い合わせは
葦名堰史跡保存会事務局 高橋さんへ。
☎0197-47-1975(お間違えのないようお願いします)

南都田浅野の稲荷社

2018 01 23
暮れには例年より多く感じていた降雪ですが、
年明け後の降雪は数日程度で、一面真っ白な雪景色とはいいがたい今年の1月です。
1801191.jpg
前々から気にはなっているけれど、近くまで道路があるのかどうかもわからず、
ひとり田んぼの中を歩く勇気もなく、指をくわえて眺めている場所が多くあります。

ここもそのひとつ、道路からは、守られるように木々に囲まれたこのお社が見えます。
1801192.jpg
ここは南都田の浅野の稲荷社です。
稲荷社は元は穀物や農耕の神で、
この社も安永風土記の農耕神の中に含まれているようです。
境内には
嘉永三年の雷神様の石碑が1基、あると資料にはありますが、
もっと多くの石碑が並んでいるので、
他の場所にあった碑も置かれたのかもしれません。
1801193.jpg
上の部分が落ちてしまった鳥居は大正2年に奉納されたもののようです。
天保年間と明治時代の棟札が残ります。

稲荷社からあぜ道を西に数十メートル進むと
水田の畦畔にポツンと1基、石碑が建っています。
1801194.jpg
碑は
『庚申供養碑』で安永五年八月二十一日の日付が刻まれています。
何名かの名前も刻まれているようですが、判読は不明。
 1801195.jpg
資料には(旧道だったのか)と追記されています。

谷地中の馬頭観音堂

2017 12 26
南都田谷地中の国道397号沿いにある馬頭観音堂です。
安永風土記に記載のお社のようですが、創建は不明のようです。
171226谷地中2
171226谷地中1
境内には、
昭和二十五年建立の『鸕鷀草葺不合尊』碑と
明治二十八年の『馬頭観音』碑が二つ並びます。
鸕鷀草葺不合尊』は胆沢に10基ほどあるうちのひとつです。
村棟梁の佐々木某氏のほか14名の名も刻まれています。

寒さの中では、

なんど、厳しい冬をこの地で過ごしてきたのか、
どのくらいの歴史を抱えているのか、大方の社や碑がそうであるように
今ではだれにもわかりません。

と、なんだか悲愴的な思考に陥ってしまいますが、

あらゆる命がキラキラ輝く季節にその姿を認めれば、
きっと見え方も受け止め方も違ってくることでしょう。

冬は始まったばかりですが、早くも暖かい季節を待ち望んでしまいます(;^ω^)

葉っぱが落ちたイチョウの木の下

2017 12 10
171207小田切1
整然とならんだ石碑群、お地蔵さまも祀られています。
資料からは探せなかった石碑群です。
171207小田切3
奥には山神社も鎮座する小山赤堰、
縄文後期・弥生時代の遺跡、小田切遺跡があります。

町史によるとここは桜井良安医師の屋敷跡とあります。
並ぶ石碑群は墓石で、桜井医師と関係のあるお墓なのかもしれません。

もう少ししたら雪に閉ざされ、
ここまで入ることができなくなります。

土手渡りため池に立つ記念碑

2017 11 14
昭和63年に建立された記念碑には

土手渡り溜池は一五〇年前我々の先祖がこの地への永住を期し、
幾多の辛苦を重ねつつ築造してきたものである。


とあります。
171113土手渡1
若柳下横沢原にあるこの溜池ですが、受益地は主に小山大畑平のようです。
171113土手渡4
現在も重要な溜池として使われ続けている様子のこの溜池ですが、
人も立ち寄らぬ晩秋の静かな水面で水鳥たちがゆったりと羽を休めていました。
171113土手渡3
近づいたとたん、バタバタと飛び立たれてしまいましたが(;´・ω・)
ごめんなさい、びっくりさせて(´;ω;`)

南都田 作屋敷の大日堂

2017 11 05
なんだかバタバタして、
小さいお社や古い石碑に気を配れずに過ごしてしまった10月。
この日もバタバタしていましたが、通りがかりの
田んぼの中で午後の陽に照らされ気持ちよさそうな
作屋敷の大日堂に寄ってみました。
171027大日堂1
平安時代の遺跡がある作屋敷遺跡の標柱が建っています。
大日堂は安永風土記記載の堂で、天保二年の棟札が残ります。
地元では大日如来堂と呼んでいるそうです。
171027大日堂2
境内に並ぶ石碑、お地蔵様を含め6基ありますが、
資料にあるのは馬頭碑、天照皇太神宮、庚申塔、菩提供養碑です。
171027大日堂3
寛政や文政の文字が刻まれています。
171027大日堂4
右端の小さい石碑は資料になく、古い墓石なのかもしれません。
 | HOME | Next »