松村巨湫の句碑

2017 09 12
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市野々御番所跡公園にある松村巨湫の句碑
「樹のおくに うぐひす鳴くや 葉月渓」

建立されたのは昭和30年、若柳観光協会の建立です。
説明板には
この句碑は、尿前橋の西側にあったもので、
胆沢ダム建設のために、現在地に移設されました。
作者松村巨湫は、東京で活動した当時の代表的俳人の一人で
水沢在住の門下生の招きで岩手県を遊行した際、
尿前渓谷の新緑の美しさを吟じた句だといわれています。
尿前渓谷の柱状列石と新緑と川の流れが織りなす絶景。
そして、どこからともなく聞こえてくるウグイスの声。
都会で生活していた巨湫には、
それらが心の奥底に響いたことでしょう。
(松村巨湫 1895年~1964年。主宰した俳誌『樹海』)


尿前渓谷は旧胆沢町きっての新緑・紅葉の名所だった場所ですが、
胆沢ダム建設によって国道397号は付け替え工事がおこなわれ、
尿前橋は現在胆沢ダム湖に沈みましたが、
現在は尿前渓谷橋から柱状列石を見ることができます。
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↑は2010年尿前橋から見た尿前渓谷です。
↓は昨年の尿前渓谷橋と柱状列石です。
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これからはじまる紅葉シーズン、
見る場所、見える景色は違っても、紅葉の美しさは変わらずここにあります

若柳津倉田の馬頭観音堂

2017 09 07
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創建年代不詳の観音堂ですが、安永風土記に記載されています。
赤い鳥居の両脇に明治と大正時代の2基の馬頭観世音碑が並んでいました。

清々しい秋の風が渡る田んぼの中、気持ちよさそうに佇む観音堂です。

市野々の御番所跡

2017 09 05
焼石クアパークひめかゆの西側に市野々御番所公園があり、
番所を模した建物が並んでいます。
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その向かいの道路下に市野々御番所跡の標柱があり看板が建っています。
奥のお屋敷は検断を務めたお家柄です。
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仙台藩と佐竹藩との藩境御番所は下嵐江に置かれましたが、
冬場は不便とのことから、この市野々に移されたそうです。
幕末にはまた下嵐江に移されましたので、
胆沢には市野々とし下嵐江に御番所跡があるんですね。
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江戸時代の人々も今と変わらぬ焼石連峰の山並みを眺めながら歩いたことでしょう。

小山字伊勢堂の伊勢堂

2017 08 29
県道302号から見えるとてもきれいなお堂はこのお伊勢堂でした。
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祭日は9月16日 祭神は天照皇大神 安永年間の棟札があるようです。
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二つの鳥居、ひとつは昭和42年の祭日のもので
もうひとつは昭和16年の祭日で、当部落日支事變従軍者記念とあるようです。
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そして対の灯籠、
右の側面には 享保元年、左には九月十六日とあるそうです。
享保元年は1716年、なんともいい感じの素敵な対の石灯籠です。
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境内に並ぶ石碑群、奥に石の祠が2基、
念仏剣舞之碑(昭和49年9月)、剣舞紀年(昭和11年)、南無阿弥陀仏碑(文久3年)、
庚申・巳己供養碑(天明2年)、山神碑(不明)、南無阿弥陀仏碑(安永2年)、
金華山塔(天保3年)、馬頭明王碑(安政2年)
剣舞碑は平成5年に国指定・重要無形民俗文化財 に指定されている
朴の木沢念仏剣舞の碑で背面には沿革史も刻まれているようです。
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祭神が祀られるお堂は、建物の後ろに重なるように建っていて、このような造りのお堂は
この辺りでは珍しいものでした。

美しい伊勢堂、緑の中で清々しく鎮座しています。

葦名堰は来年400周年を迎えます。

2017 08 15
小山二の台、葦名堰涌出史蹟で開催された葦名堰見学会に行ってきました。
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8月6日(日)、会場には20名以上の参加者の皆さんと史蹟保存会のメンバーの皆さんが集結。
多くは、近くに葦名堰があるのは知っているが、実際に穴堰を見たことがないという方々でした。
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保存会のメンバーが先頭と最後尾につき、最終湧き出しの穴堰から入り、
150mほど先にある斜坑から地上にでてきます。
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最初は腰を屈めて進み、しばらくすると普通に歩ける高さほどに掘られているそうです。
堰は通常腰まで水が溜まっている場所があるので、数日前からポンプで水を吐き出して
この日を迎えています。
堰の中はライトを設置し、ろうそく棚があるところにはろうそくを立て堰内を照らします。
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私は地上を歩いて、北の斜坑で待ち伏せします。

北の斜坑で待っていると遠くから人の話す声がゴンゴンと響いて聞こえてくると
そろそろ出てくる頃。追い立てられるように蝙蝠も飛び出してきます。
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堰は気温が17度程度ということでずいぶん涼しいそうですが、地上に出てくると30度近くです。
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堰内の見学を終えた皆さんはしばらくその場で話し込んでいるようでした。
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葦名堰史蹟保存会(若槻会長)は来年、葦名堰開削の400周年記念事業を計画しており、
これまでも見学会等を実施してきました。
この日の見学会も参加者からは先人の偉業に感嘆の声が多く聞かれ、
この貴重な水文化遺産の保存活動に大きな理解が得られたようでした。

小山二の台の馬頭観音堂

2017 08 06
8月6日(日)奥州胆沢カヌー競技場では
カヌースラローム競技が開催されます。
ぜひご観戦ください!!


観音前スクールバス待合所のとなりの馬頭観音堂です。
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鱒淵馬頭観世音菩薩の分霊が祀られています。
鱒淵馬頭観世音菩薩を調べてみると
宮城県登米市鱒淵地区にある華足寺のご本尊が鱒淵馬頭観音ということで、
由来は坂上田村麻呂が、この地で死んだ愛馬を葬ったと伝えられているようです。
華足寺は日本最古の馬の霊場と言われており、青森・岩手・福島などの馬産地からの
多くの参詣があったと、ありました。
参考:宮城県登米市東和町 米川地域振興会HP http://miyagi-yonekawa.com/

昭和二十九年の額が掲げられ、二ノ台分堂とあります。
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境内にはたくさんの碑があり、最も古いもので寶暦十年(1760)の庚申供養碑と
同じく寶暦の文字だけが読み取れる梵字碑がありました。
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そしてここには昭和三十三年建立のウガヤフキアエズノミコトの碑がありました。
昭和というと最近の事のように感じますが、33年はもう、60年ほど前になります。
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この馬頭観世音菩薩がいつからここに祀られているものか定かではありませんが、
生活の中心が馬で、馬がいなければ耕作も運搬も何もできなかったから家族と同じように
馬を大切にしてきた人々の思いを、この馬頭観音堂や区内に多く残される馬頭観音碑からも
見ることができます。

小山 伊勢堂にも『うがやふきあえずの尊』

2017 07 27
7月24日(月)付の小山伊勢堂の馬頭観世音碑と山神碑の道路向かいにも
大切に祀られている石碑群がありました。
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ここに並んでいるのは、金華山、古峯山、鸕鷀草葺不合尊で、
案内板にはそれぞれの碑の説明があります。
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一部抜粋すると
明治も中頃に入って世の中が落ち着くと寺社仏閣への参詣旅行が盛んになるが
誰しもが行ける訳でもなくその為に何人かで講中を組織して積み立てた金で
二、三人ずつの代参詣が行われました。全員が参詣すると更なる功徳を積むとのことで
供養碑を建立したという。
と『供養碑の由来』に書かれています。
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『胆沢町の石造物』を開くと
何十年か前の道路工事で現地に移す(昔の場所は、不明)とありましたが、
この案内板には
昭和五十八年の道路拡張工事に依り現在地に移転する。と書かれていました。

そしてここにも、ウガヤフキアエズノミコトの碑があり、
地域の茅葺き職人の安全祈願の供養として・・・大畑平から久保、
大萩地区と広範囲に渡り三十八名の講員をもって建立した、
今はその職人も少数になっている。

と説明されています。

結びには 東日本大震災に触れており、

東日本大震災と大津波で三陸では多大な被害となり
土地や家屋とともに多くの人命を失い忘れられない年となった、
合せて先人の願いの記念碑や供養碑をも凡て失うと言う 
改めて当地においても石に刻まれし
先祖の祈りの心を後世に伝えんが為ここに由来の看板を作成した。

平成二十四年 三月   地主


この地方では、祈りの心が生きています。

小山 伊勢堂の人々の祈り

2017 07 24
小山伊勢堂の市道沿いに赤い鳥居が見えます。
山神と馬頭観世音の石碑が並び、看板も設置されていました。
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看板には、
七十年記念碑詩文
当地域は農耕の発展とともに馬の産地として苦楽をともにし
一喜一苦の時代も皆心を一つに、感謝をし互いの生活を
営み信仰の発展を見るに至りました。


とはじまり、昭和十三年に建立された馬頭観世音の建立に協力した人々の
名前が記されています。
御縁日は九月十七日

また、その隣に昭和二十二年に奉建されたとあるのは山の神の石碑です。

御縁日には祭りや映画を建て、旅行をし長く続けてまいりましたが、
時代の流れと共に互いの生活も成り立ち文化信仰に対する考え方も
変わりつつある今日に置いて過ごすこと七十年と言う一つの節目を
迎えることができましたことを感謝申し上げます。・・・・平成十九年晩秋 発起人

とありました。この時に建立された記念碑あわせて三基の石碑が並んでいます
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地域に多く残されている石碑の多くには同じように何名もの名が連なっていることからみれば、
ここ伊勢堂の石碑に限らず、多くの場所で地域の皆さんが一緒になって石碑を建立し
信仰してきたのだと思います。

発起人や地主さんが中心となって、
たくさんの人が賛同し、拠り所となる地を設けてコミュニティが保たれてきたんですね。

赤堰の幸ノ神社

2017 07 20
小山赤堰を流れる寿安上堰の傍、堰に背をむけるように幸ノ神社があります。
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写真の中央から右に目を移すと杉木立のなかに黒い石碑群がみえます。
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幸ノ神社側からみると寿安上堰にかかる橋の欄干が見えますね。

幸ノ神社は道祖神が祀られています。
祭日は四月三日です。

昔は境界に、邪霊悪疫の侵入を防ぎ、道行く人を災難から守るために
塞(サイ)神が祀られていました。
こちらの幸(サイ)の神も同じ目的で祭られているものかと思います。

並んでいる石碑は

左から

石祠

文政六年 三月十二日  馬神

文久元年 十二月十九日 馬頭碑  

 お社

昭和五十七年 四月三日 建之 畜霊供養塔 です。
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第18回の胆沢劇場「幸の松騒動記」の看板が建っています。
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幸ノ神社をあとにして振り返ると
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こんなに和む風景がひろがっていました。

相撲追善供養碑が若柳にも。

2017 07 04
胆沢区若柳堰袋の国道沿いには相撲追善供養碑が建てられています。
江戸時代に建立されたこの供養碑は天保の年号が刻まれています。
(背の低いほうが相撲追善供養碑です)
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この追善供養碑は、伊勢ノ海部屋の関戸親方の妻加乃の供養碑で、
伊勢ノ海部屋の弟子の盛山庄左エ門の子、友碇綱五郎とその弟盛石十五郎が
胆沢の若柳村や新里村などから賛助を得て建てられたものということです。
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伊勢ノ海部屋の弟子の盛山庄左エ門は伊勢ノ海部屋に一時所属した弟子だったが、
当時の番付面にその指呼名が見えないので帰郷して地方力士の育成発展に
尽くされたと思われる。
と町史に記載されています。
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石碑には

伽陀云 伊勢ノ海加乃追善 
の文字の他に四つの句が刻まれています。
伽陀云とは、仏徳または教理を美しく讃める詩ということらしいです。

区内に残される相撲関連の碑は7基は確認されているようです。
相撲は昔からみんなが楽しみにしているスポーツだったのですね。
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