すいとん料理 おふくろで味わう

2013 05 31
『すいとん食べたーい』というときは胆沢区若柳のすいとん料理の店おふくろへ。

130530おふくろ店

食の匠渡辺貞子さんのお店と云うこともあり、手作りのおふくろの味が味わえます。
すいとんと焼おにぎりのセットは¥700、お腹がいっぱいになるボリューム。
すいとんセット
様々なすいとんを楽しみたい方は、ダムご膳(¥1,000)がおすすめ。
しょうが、ごま、ずんだ、あんこなど全てのすいとんが味わえます。

すいとんばかりではありません。チャーハン(¥550)や焼肉定食などもあり、
お仕事途中のお父さん達も多く立ち寄ります。
チャーハン
ボリュームがあって低料金、安心、懐かしのおふくろの味が大人気のお店です。
130530おふくろテーブル席
テーブル席のほか、小上がりと座敷もありますので会合などにも利用されているようです。

130530お待ちしています
たみこさんととくえさん、はっとくんが暖かく迎えてくれますよ。

6月9日(日)には、奥州はっとフェスタにも出店します。
おふくろの自慢のすいとんを是非ご賞味下さい!!
同日は水沢商人まつりも開催されます。


すいとん料理 おふくろ
岩手県奥州市胆沢区若柳字愛宕183
TEL 0197-49-2965
営業11:00~18:00 水曜定休
 18時以降はご予約下さい。
国道397号を西へ。胆沢区若柳、胆沢愛宕小前の信号から200m先の右手。
 渡辺貞子さんのお料理教室の様子もご覧下さい。
 2013-03-27 渡辺貞子さんがつたえる おふくろの味 


どこから見ても猿?

2013 05 30
新緑の季節、国道397号を秋田県や胆沢ダムに向かう車も多くなりました。

胆沢ダム湖奥州湖を眺めならが進むと見えてくるのが猿岩です。

その姿が猿の顔に似ている事から猿岩と名づけられたと言い伝えられていますが、
昔々の人々はどこからみた姿をサルと云ったのでしょうか。

石淵ダムの建設の際は猿岩に火薬を仕掛けて発破し、岩石を採取したといいますから、
昔々と現在では猿岩の様相も変わっているのかもしれません。

どこかに猿の面影を見つけられないかと思い、下嵐江展望広場に行って来ました。

右からみた横顔、市道をすすみ下嵐江展望広場がある南方向から見ています。
130528猿岩右
正面から見たお顔、奥州湖大橋を渡る手前からの撮影です。
130528正面
左から見た横顔、市道にはいって間もなくの北側から撮影。
130528左

昔々、石淵ダムが出来る前のおはなし。
猿岩の麓を通る道があったそうです。仙北街道と呼んでいます。
仙北街道は、水沢で奥州街道と分岐し、現在の水沢区天文台通りから広岡線を西に進み、
供養塚から現在の国道397号とほぼ一緒に西進します。
馬留から猿岩の麓を通り下嵐江から山入りし、秋田県東成瀬村に通じていました。

その下嵐江には渋民沢、千軒原と呼ばれているところがあります。
ココには銀山跡があり、、銀山最盛期には鉱夫の住む小屋がひしめいて
約千軒もあった所と伝えられています。

また、大正以降は営林署の事業で下嵐江から水沢まで軌道が敷かれ、
前川分校もおかれました。
有名な猿岩ずい道も森林軌道敷設のために掘られたものです。
猿岩のずい道は今は奥州湖に沈んでいます。

このように猿岩周辺には多くの人々の足跡があります。
今はひっそりとしている山奥の地にかつて多くの人の往来があったことが
とてもとても不思議に感じますが、
だからこそ人々は猿岩周辺に時空を越えた浪漫を感じるのでしょうか?

昔々から猿岩大明神と呼ばれ、
ご神体としてあがめられてきている猿岩は現在も地域の信仰をあつめています。

サルの面影をどこかにみつけられたでしょうか?

国指定史跡大清水上遺跡に新看板

2013 05 21
胆沢区若柳字慶存の国指定史跡大清水上遺跡に登場した大型案内板。
大清水ため池を見下ろす高台の史跡入口に設置されています。
130508大清水上遺跡1

平成20年7月に国の指定史跡に認定された大清水上遺跡は、
縄文時代前期の環状集落跡といわれています。
昭和32年に最初の調査が行われ、平成12年から16年にかけて胆沢ダム建設に伴う
発掘調査の結果、遺跡の保存が実現しました。
130508大清水上遺跡2130508大清水上遺跡3
130508大清水上遺跡4130508大清水上遺跡5

大清水上

胆沢ダムやひめかゆ温泉にも近いこの大清水上遺跡、
この重要な史跡が今後どのような形で活用されるか楽しみです。

田植えの作法

2013 05 20
先日ご紹介した水口に祀るユキツバキ:於呂閇志胆沢川神社
そこで紹介した水口にユキツバキと笹の御守札を祀る南都田の村上健喜さんのお宅で
5月14日(火)いよいよ田植えが行われました。

5月14日(火)は「一粒万倍日」(いちりゅうまんばいび)、
毎年、農事暦のこの日を意識して農作業の日程を組んでいるそうです。

作業が始まる前に、先ずは自宅前にあるビニールハウスのなかの苗に、
米俵をかたどった赤飯3個をお供え。そっと手を合わせます。
赤飯2
赤飯1
そして田植開始。先ずは、ユキツバキの御守札を刺していた水田から苗が植えられました。

田植え前に赤飯をお供えしているのは、今ではほんのわずかの農家だけになったということです。

苗が植えられた田んぼ、苗はまだひ弱で水田におぼれそうですが、
すぐにたくましく根を張り、秋には豊かな実りをもたらします。
田植え1
水を見廻りに来たときには必ず手を合わせて拝むユキツバキと笹の御守札が
苗の成長と作業の安全を見守ってくれます。

赤飯のお供えについて
胆沢町史民俗編 第5章年中行事 第3節春夏の行事に次のような記載があります。 
○初田植の朝は、どこの家でも小豆飯かフカシ(又は赤飯)をして仏壇・神棚にあげて食べた。
○・・・・・丑持柱のない農家では、竈の前に苗三把あげ、小豆飯三個あげておがんだ。
 この小豆飯のオニギリ三個を食べると、田植中腰が痛くないといって、少しずつわけて食べた。
 (若柳香取・松原・丑転・小山大谷地方面)
○現在は田植が田植機械であるので、北丑転の加藤さん宅では苗箱の上に小豆飯をにぎって
 三個あげておがんでいる。ここ以外はほとんど実行されていない。丑持柱は家屋の中心であり、
 竈は毎日飯や食べものを煮炊きする場で、カマドの神がいるところから、
 「これから田植をするが、今年も豊作でありますように、また今年も竈の御世話になるように、
 大豊作で丑持柱を中心になんとか生活ができますように」とカマドの神に捧げ願う行事である。


皆さんのお宅の田植えの作法はどういったものですか?

水田の中に点在する家々

2013 05 19
焼石連峰にもくっきりとハルの雪形があらわれた良く晴れた5月半ば、
見分森の展望台へいってきました。

田んぼには水がはられ、水田の中に点在する家々の風景がみられます。
稲が伸びてくると今度は一面みどりのじゅうたんに。
130517散居1
130517散居2
新緑の季節、雪解けのあとから柔らかなみどり色で山が覆われていきます。
130517焼石連峰1
130517南部片富士
はるか遠く、北には岩手山がうっすらと見えました。

国道397号沿いの角塚古墳の菜の花も今が満開、見頃です。
130517角塚菜の花1
秋田県への通り抜けも可能となり、新緑も美しい季節となりました。
晴れた日のドライブなら胆沢方面へお出かけ下さい。

水の歴史『葦名堰』を歩く・・・

2013 05 14
葦名堰(アシナゼキ)は、元和4年(1618)から51年の歳月をかけ衣川の前川・後川から
小山二ノ台に通水するために開削された堰で、二ノ台堰、刑部堰とも呼ばれました。

衣川荘の領主であった葦名氏5代に渡り、私財を投じて開削されたという堰であり、
この堰の誕生によって、衣川区北股地区の一部と小山中沢・二ノ台の水田を潤しました。
残念ながら葦名氏による事業であったことは、代々の伝承のみでそれを証拠づけるものは
残っていません。

現在、中沢・二ノ台地区は、『ポンプ揚水場』と呼ばれている県道37号沿いのポイントから
胆沢区若柳萩森にポンプで揚水し、中沢ため池を経由し通水しています。
衣川区北股地区を経由する本来の葦名堰は、北股地区の受益水田でしか使用されませんが、
約400年以上も前に開削され昭和40年代まで、小山中沢・二ノ台を潤してくれた
葦名堰とその開削にあたった先人への顕彰は今も続いています。

4月下旬、先の衣川区大平県道37号沿いのポンプ揚水場から胆沢区小山二ノ台の湧き出しまでの
踏査が行われました。

ポンプ揚水場、今回の踏査はここからスタートします。
葦名堰1 葦名堰2

ココから小田裏とよばれるポイントまでは難所続き、
前回の踏査の際(2010年秋)には見られなかった大きな崩れがあり、
東日本大震災によるものかと話していました。
葦名堰130420s2
ココは受込口:柵のように作っているのは、落ち葉などをせき止めるため?

小田裏の穴堰の出口から平堰へ。
葦名堰では隧道のことを穴山、穴堰と呼んだそうです。
地表に出ている箇所は平堰と呼びます。
穴堰と平堰を繰り返しながら二ノ台湧き出しまで続きます。
葦名堰3 葦名堰4

道路と交差するポイントがところどころであります。
そこからなら葦名堰を容易に見つけることができます。
葦名堰7
このあたりまでは衣川区北股地区で現在も使用されている堰となります。
このあと堰は、衣川区外の沢を通り二ノ台へと向かいます。

最終受込口です。
葦名堰130420s3

最後の穴堰が終わる湧き出し周辺はこのように整備され、一般に見る事ができます。
少し山に入るので熊注意ですが
葦名堰130420s4
現在の増沢ダムから更に奥の前川揚場と呼ばれる箇所から延々24km以上、
穴堰15箇所、平堰15箇所の葦名堰、想像を絶する難工事であったことと思います。
その堰は、昭和40年代までの長い間、受益者によって維持管理されてきました。
ここでも水争いは絶えず、番水も交替で行われてきたようです。

その歴史を伝える古老も少なくなった現在ですが、
今回のように小山中沢・二ノ台地区の有志により葦名堰の歴史を伝える活動は
現在も続けられています。

今回の踏査は葦名堰史跡保存会の高橋岑生さん、若槻慶之進さんの案内で行われました。

小山二ノ台鶴供養には 葦名堰の記念碑が建立されています。
鶴供養の伝説と共に小山二ノ台地区の大切な遺産となっています。

水口に祀るユキツバキ:於呂閇志胆沢川神社

2013 05 12
4月29日(月)胆沢区若柳土橋の於呂閇志胆沢川神社で開催された春の例大祭。
この春の大祭では、猿岩に咲くユキツバキと笹を田んぼの水口に祀るための神事が行われます。
平安時代から一千年以上も受け継がれている風習と伝えられています。
130429於呂閇志胆沢川神社1130429於呂閇志胆沢川神社2
ユキツバキと笹、お札からなる御守札、毒虫除けとして、また豊作祈願として
古くから信仰されてきました。
130429於呂閇志胆沢川神社5130429於呂閇志胆沢川神社6
主に県南地区の農家のかたが御守札を求めていらっしゃいます。
その家で一番初めに水が入る田んぼの水口に祀るのだそうです。

大祭の数日後、ユキツバキと笹の御守札を求めた南都田の村上健喜さんの田んぼで
御守札を祀るところに立ち会いました。
ユキツバキ1
村上さんのお宅では、お札が汚れないようにビニールで包んで祀ります。
ユキツバキ2
ココが水口、今年初めて田んぼに水を入れます。
お札を祀る時期は、各家々で異なるようで、4月29日大祭のその日の内に、という家や
田植え後というところ、さまざまのようです。

こうして田んぼの水口に祀られたユキツバキは1年の田んぼ仕事が終わるまで、
このまま祀られ、1年の農作業と稲の成長を見守ります。

今度気をつけて見てみて下さい。
田んぼの水の入り口、於呂閇志胆沢川神社で永く執り行われてきている
ユキツバキを祀る風習を目にする事ができるかもしれません。
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