国分氏の代々の墓所

2014 12 18
胆沢区南都田字国分、
伊達藩氏国分氏が寛文年間から明治維新直後まで居住した館があり、
近年まで土塁の跡などが残っていたそうです。
屋敷跡の代々の墓所であった場所が小公園として整備されています。
141215国分1
141215国分2
設置されている説明板には
 このあたりは国分(こくぶん)と呼ばれています。江戸時代から
明治維新直後までの二百有余年、ここに屋敷を構えていた
仙台藩士国分(こくぶ)氏に由来するもので、字名も早い時期に
「国分」となりました。
国分氏は、現在の長野県上田市あたりに本拠を持つ鎌倉時代から続く武士で
室町時代に伊達氏の家臣となりました。
 当時、国分氏の領地は江刺市愛宕にありながら、何故
わざわざこの地に屋敷を構えたのでしょうか。これには
すぐ南側を東西に走る仙台往還道と関連した仙台藩の
思惑があったのかもしれません。
この場所は国分屋敷の西隣にあたり、国分氏とその
類縁者の墓地があった場所です。現在は昔の墓地が残る
のみとなり、国分氏らの菩提は宝寿寺で弔われています。
なお、この一帯は縄文時代と中・近世の
遺跡として文化庁に登録されています。
      都鳥地域コミニュティ振興協議会  平成十三年八月二十六日 設置

141215国分3

胆沢区国分・・・と聞くと思い出すのがまるかん菓子店ふわふわ苺の季節ですね。
もう販売は始まっているでしょうか?
まるかん菓子店の西側の道路を北に進むと右側にこの小公園があります。

冬の使者白鳥 安吉堤で一休み 

2014 12 16
小山の安吉堤で羽を休める白鳥を確認しました。
141215安吉堤1
141215安吉堤2
一面真っ白の銀世界、堤の水面も凍っています。

この堤の上に治平堤(じへいさんがつくった堤)という堤がありますが、
そこにはより多くの白鳥が休んでいました。

これでやっと白鳥の飛来をお知らせすることができました。
過去記事2014-11-09 小山赤堰の安吉堤←こちらもご覧ください。

小山上中沢 小さな石祠

2014 12 13
胆沢区小山上中沢の交差点角、若柳萩森との境にある鳥居と小さな祠。
牛馬観世音 (昭和十五年)と馬頭明王碑(明治二十九年)にはさまれている小さな石祠は
どのような性格のものか不明ということ。
121211萩森1
このような性格不明の祠が区内にはけっこう残されているようです。
121211萩森2

牛馬観世音には、 牛 五才  青毛十才 と刻まれていますので、
供養碑的な要素もあるのかもしれません。
家族のように過ごした牛馬との別れもきっとつらいものだったのでしょう。

雪国の必需品 スノーポール

2014 12 12
路肩の白い反射板付きポール(デリネーター、デリニエーターというらしい)は、
雪が降る季節になるとなかから赤白ポールが伸びて、
雪でみえなくなる路肩の場所をしめすスノーポールに変身します。
このポールを目印に除雪作業が行われます。

あまり見たことがないけれど、一本一本のポールを伸ばす作業をしているかたがいるんですね。

141211小山
ココは小山、万内溜池から駒込方面へ向かう途中です。
道路の真ん中でたたずむのはアオサギ、
迷子でしょうか・・・いいえ・・・お散歩

南都田11部落公民館の庚申塔

2014 12 02
胆沢区南都田の11部落公民館の入り口に庚申塔があります。
嘉永7年(1854)7月廿三日の年月日が刻まれています。
141201庚申碑2
しっかりと彫られた文字は160年の時を経たとは思えないほど、
力強く、現世の人々をも見守り続けているように感じます。
141201庚申碑 141201庚申碑3
庚申信仰とともに道を守る道祖神のような意味で建立された碑もあるということから、
胆沢区内に残るたくさんの庚申碑(塔)もその場所、地域によってそれぞれの思いの中で
建立されていることと思います。

南都田地区の各公民館では、こんな素敵な看板が設置されています。
141201庚申碑5
『みんなであいさつ 明るい笑顔』
南都田のシンボル角塚古墳とコスモスの花とともに、素敵な詩が添えられています。
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