大清水上遺跡、入り口看板でわかりやすくなりました。
2015 06 26
入り口の表示がなくて、どこからはいればいいかわからなかった大清水上遺跡、
昨年の秋に、看板が設置され、入り口がわかりやすくなりました。

国指定史跡大清水上遺跡、夏休みの自由研究などに調べてみても面白いと思います。

ここから奥にすすんでいき、右にのぼっていくと大清水上遺跡、
いまだ謎多き、縄文遺跡です。
2013-05-21 国指定史跡大清水上遺跡に新看板←こちらもご覧ください。
昨年の秋に、看板が設置され、入り口がわかりやすくなりました。

国指定史跡大清水上遺跡、夏休みの自由研究などに調べてみても面白いと思います。

ここから奥にすすんでいき、右にのぼっていくと大清水上遺跡、
いまだ謎多き、縄文遺跡です。
2013-05-21 国指定史跡大清水上遺跡に新看板←こちらもご覧ください。
二大水系のひとつ『茂井羅堰』
2015 06 23
徳水園、円筒分水工からわかれる二つの堰、胆沢平野の二大水系は『寿安堰』と
『茂井羅堰』です。寿安堰については、キリシタンであった後藤寿庵の開削と伝えられています。
領主でもあった後藤寿庵は、いまだ謎が多いものの、有名な偉人なので、寿庵の痕跡を訪ねてこられる方も
多くいらっしゃいます。
もう一つの堰『茂井羅堰』、こちらは主に胆沢平野北部を潤おしていますが、
この堰を開削したのが、北郷茂井羅という女性だったという言い伝えがあります。

徳水園には寿庵顕彰碑とならんで茂井羅碑も並んでいます。


徳水園から東に数百メートル、胆沢川沿いに降りていく道路のわきに
ひっそりと「茂井羅堰旧取水口」の看板が立っています。

ここには、長い年月の間に多くの人々の努力と英知によって作り上げられた・・・・と記されています。
茂井羅という名前や開削に関わった時期、人々、多くの謎がのこったままですが、
昔の人が作ってくれた堰は現代も胆沢の大地を潤おします。
『茂井羅堰』です。寿安堰については、キリシタンであった後藤寿庵の開削と伝えられています。
領主でもあった後藤寿庵は、いまだ謎が多いものの、有名な偉人なので、寿庵の痕跡を訪ねてこられる方も
多くいらっしゃいます。
もう一つの堰『茂井羅堰』、こちらは主に胆沢平野北部を潤おしていますが、
この堰を開削したのが、北郷茂井羅という女性だったという言い伝えがあります。

徳水園には寿庵顕彰碑とならんで茂井羅碑も並んでいます。


徳水園から東に数百メートル、胆沢川沿いに降りていく道路のわきに
ひっそりと「茂井羅堰旧取水口」の看板が立っています。

ここには、長い年月の間に多くの人々の努力と英知によって作り上げられた・・・・と記されています。
茂井羅という名前や開削に関わった時期、人々、多くの謎がのこったままですが、
昔の人が作ってくれた堰は現代も胆沢の大地を潤おします。