菅江真澄が書き記した鶴形の風習

2017 09 01
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まごころ病院の中庭にある鶴の置物。

胆沢地方を旅し小山徳岡の村上家に滞在した
紀行家の菅江真澄は次のように残しているようです。

★菅江真澄と歩く旅の記録 
菅江真澄の道https://sugae-masumi.jimdo.com/から引用★

20日、今日は平泉の常行堂に摩多羅神の祭りがあるとれ出かけた。徳岡の上野を出ると早春の気配がする。
田面の雪の中に鶴形を並べてある。真鶴・なべ鶴・餌ばみ、立首など、どれも生きているようだ。
これは昨秋、稲刈り後に鶴形を作って立てたもので、この風習は昔及川某という武士が始めたものだと言う。及川家は今もあって、この家の鶴形には今も多くの鶴の群れが舞い降りるという。
鶴形を彩ることを「にごむ」と言い、色を塗った上に大豆液(まめご)と言うものを塗ると、激しい風雨露霜や氷雪でも腐らずに残るそうだ。
田の畔(あぜ)に柴で作った小屋の中に入って、鉄砲で撃つ。秋は鶴形が多く、今は鵠(白鳥)形、鴨形、雁形なども作っている。鳥も慣れて来て、昔ほどは降りなくなったと言われた。


菅江真澄がみた鶴形がこのようなものだったかはわかりませんが、
鶴供養など、鶴が関係する民話も残っており、
江戸時代、この地方にもツルが舞い降りていたことは確かなようです。

HPからの引用、リンクを快諾して下さった
菅江真澄ホームページの主催者AKO様には心から御礼申し上げます。

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