供養塚の追分碑

2016 03 21
若柳供養塚、柳の木で作った塔婆がそのまま根付いたものが現在の柳であるとの言い伝えがあり、
その樹齢は100年以上であるとのことですが、真意はさだかではありません。
160318供養塚3
その柳の老木の東側に市指定文化財の標柱があり、
その場所が供養塚があった場所であると伝えられています。
160318供養塚1
安永風土記記載の
「宝永年中(1704)、当時肝入三郎兵衛が一字一石供養法華経建立埋め置いた高さ七尺、
廻り六尺の古塚」があった場所です。
160318供養塚2
現在は三つの碑がありますが、
ひとつは無名碑、ひとつは墓石、そしてもうひとつが馬頭碑で、
頭に梵字を配し、馬頭碑(とかいてあるそうなんですが) その下に

右ハ水沢道
左 村道
西 市野々  と刻まれているそうですが見えません。(;д;)
そもそも石碑が寝っ転がってしまったので、正確な位置に座していないのだと思いますが、
これではこの追分碑を頼りに歩く旅人が混乱してしまいます。
なんとかならないものでしょうか。

「願主 五郎介」とともに「安政四年 六月廿五日」の年月日も刻まれています。
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