まほろばの里 増沢

2017 05 19
愛宕から衣川へ抜けるいちばんわかりやすい道路は県道37号です。
衣川の国見平温泉へ行きたいんだけど・・・と問合せがあるときは、
『愛宕の信号から、南にまがって道なりに。T字路にぶつかったら左へ。
少し遠回りになりますが、県道37号は国見平温泉の前を走る道路ですから。』
とお答えします。
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衣川に入ってぶつかるT字路を左へ進まず、右にいくと増沢ダムがあります。
ここはダム建設以前、明治から昭和30年代にかけて漆器作りがさかんだった増沢地区がありました。
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増沢ダムには説明板が設置されていて、ダムの説明とともに
うるしの道 と題された案内も記載されています。
そこ碑には『「望郷の碑」のデザインは往時の漆塗りの「ハケ」と「ヘラ」を模したものであり、永久に「うるしの道」への絆となることを併せて願うものです。』と記されています。
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ハケとヘラの下の碑文には次のように記されます。
望郷
 ここに立ち、四季を映す湖面を眺めていると、在りし日の増沢部落の豊かなたたずまいが浮かんできます。
 我が、まほろばの里。高桧能からの前川、衣の滝からの後川、この二つの川が合流する落合を囲むように、塗師、木地師を始め、民芸に秀でた人々による秀衡塗の工房が続き、商い人の往き来も繁く、木炭を焼き、馬を飼う、往時の七十世帯に及ぶ人々の暮らしがそれまで続いておりました。
 時移り、昭和二十二、二十三年のカサリン、アイオン台風による大洪水を教訓に、岩手県営による村内五か所の防災ダムの第一号として、この地が決まりました。よってダム建設による水没、開拓移転が始まり昭和五十年の地すべり発生による最終移転のやむなきに至り、ついに無人の里となりました。変遷極まりない時代に生き、この地に育まれた馥郁たる文化の里を偲ぶとき、その心情耐えがたいものがあります。
 このたび、衣川村制施行百周年にあたり、岩手県を始めとする関係各位の理解あるお力添えで、我がふるさとの永遠を念い碑の建立に至りました。 
 青山緑水の心の継承を併せ刻むものです。
平成元年十一月14日



隣には『増澤記念』の文字とともに大正拾壱年七月の年が記載された記念碑も建っています。
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増沢地区から多くが胆沢に移転し、そのほとんどが漆器作りから離れましたが、
現在唯一増沢塗を継承されているのが若柳の及川氏です。
及川漆工房で増沢塗の技を現在に伝えています。

増沢塗については過去記事からもご覧ください。
http://maru510.blog23.fc2.com/blog-entry-615.html
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