尼坂の追分碑

2017 05 28
胆沢区南都田国分に仙北街道の追分碑が建っています。

広岡線の国分と尼坂のバス停の間、道路の北側にあります。
市指定有形文化財の標柱がありますし道路沿いなので見慣れた石碑だと思います。

にもかかわらず、
追分碑ね、はいはい♪ と流していて、ちゃんと調べていなかったことが判明(´;ω;`)
こういうことが結構あります。
170526国分道標1
この石碑から斜めに北に延びる細い道路が旧仙北街道ですが、
もともとこの石碑は旧仙北街道をもう少し西に進んだ交差点の角にあったもののようです。

背の高いほうが追分碑で

  右せんぼく道

南無阿彌陀仏

  南やまかい道

宝暦四年四月吉日 
施主 若柳村 巻右エ門

と刻まれます。

ここから南に入る『やまかい道』がないなーと思ったので、移動されたのなら納得。

旧仙北街道はこの先の交差点から右(北)に向かうということが分かります。
ちなみにこの追分碑は『尼坂の道標』と呼ばれているようです。
170526国分道標2
刻まれた文字が見ただけでは判別できません。長い年月の労苦を感じます。

追分碑の隣には甲子塔が並んでいます。
塔の字が出てこなかったので💦塔と記しました。

甲子塔とは 
甲子或いは子(ね)の日に、夜遅くまで起きていて大黒天の掛図などを礼拝し、
飲食歓談する行事による造塔、とあります。
ネズミが大黒天の使者とみていたことから祈りの日となったと解釈していいのでしょうか。
170526国分甲子塔
こちらは
天保十一年  
八月初七日

施主には数名の名が刻まれているようですが判読不明のようです。

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