水の歴史『葦名堰』を歩く・・・

2013 05 14
葦名堰(アシナゼキ)は、元和4年(1618)から51年の歳月をかけ衣川の前川・後川から
小山二ノ台に通水するために開削された堰で、二ノ台堰、刑部堰とも呼ばれました。

衣川荘の領主であった葦名氏5代に渡り、私財を投じて開削されたという堰であり、
この堰の誕生によって、衣川区北股地区の一部と小山中沢・二ノ台の水田を潤しました。
残念ながら葦名氏による事業であったことは、代々の伝承のみでそれを証拠づけるものは
残っていません。

現在、中沢・二ノ台地区は、『ポンプ揚水場』と呼ばれている県道37号沿いのポイントから
胆沢区若柳萩森にポンプで揚水し、中沢ため池を経由し通水しています。
衣川区北股地区を経由する本来の葦名堰は、北股地区の受益水田でしか使用されませんが、
約400年以上も前に開削され昭和40年代まで、小山中沢・二ノ台を潤してくれた
葦名堰とその開削にあたった先人への顕彰は今も続いています。

4月下旬、先の衣川区大平県道37号沿いのポンプ揚水場から胆沢区小山二ノ台の湧き出しまでの
踏査が行われました。

ポンプ揚水場、今回の踏査はここからスタートします。
葦名堰1 葦名堰2

ココから小田裏とよばれるポイントまでは難所続き、
前回の踏査の際(2010年秋)には見られなかった大きな崩れがあり、
東日本大震災によるものかと話していました。
葦名堰130420s2
ココは受込口:柵のように作っているのは、落ち葉などをせき止めるため?

小田裏の穴堰の出口から平堰へ。
葦名堰では隧道のことを穴山、穴堰と呼んだそうです。
地表に出ている箇所は平堰と呼びます。
穴堰と平堰を繰り返しながら二ノ台湧き出しまで続きます。
葦名堰3 葦名堰4

道路と交差するポイントがところどころであります。
そこからなら葦名堰を容易に見つけることができます。
葦名堰7
このあたりまでは衣川区北股地区で現在も使用されている堰となります。
このあと堰は、衣川区外の沢を通り二ノ台へと向かいます。

最終受込口です。
葦名堰130420s3

最後の穴堰が終わる湧き出し周辺はこのように整備され、一般に見る事ができます。
少し山に入るので熊注意ですが
葦名堰130420s4
現在の増沢ダムから更に奥の前川揚場と呼ばれる箇所から延々24km以上、
穴堰15箇所、平堰15箇所の葦名堰、想像を絶する難工事であったことと思います。
その堰は、昭和40年代までの長い間、受益者によって維持管理されてきました。
ここでも水争いは絶えず、番水も交替で行われてきたようです。

その歴史を伝える古老も少なくなった現在ですが、
今回のように小山中沢・二ノ台地区の有志により葦名堰の歴史を伝える活動は
現在も続けられています。

今回の踏査は葦名堰史跡保存会の高橋岑生さん、若槻慶之進さんの案内で行われました。

小山二ノ台鶴供養には 葦名堰の記念碑が建立されています。
鶴供養の伝説と共に小山二ノ台地区の大切な遺産となっています。
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