どこから見ても猿?
2013 05 30
新緑の季節、国道397号を秋田県や胆沢ダムに向かう車も多くなりました。
胆沢ダム湖奥州湖を眺めならが進むと見えてくるのが猿岩です。
その姿が猿の顔に似ている事から猿岩と名づけられたと言い伝えられていますが、
昔々の人々はどこからみた姿をサルと云ったのでしょうか。
石淵ダムの建設の際は猿岩に火薬を仕掛けて発破し、岩石を採取したといいますから、
昔々と現在では猿岩の様相も変わっているのかもしれません。
どこかに猿の面影を見つけられないかと思い、下嵐江展望広場に行って来ました。
右からみた横顔、市道をすすみ下嵐江展望広場がある南方向から見ています。

正面から見たお顔、奥州湖大橋を渡る手前からの撮影です。

左から見た横顔、市道にはいって間もなくの北側から撮影。

昔々、石淵ダムが出来る前のおはなし。
猿岩の麓を通る道があったそうです。仙北街道と呼んでいます。
仙北街道は、水沢で奥州街道と分岐し、現在の水沢区天文台通りから広岡線を西に進み、
供養塚から現在の国道397号とほぼ一緒に西進します。
馬留から猿岩の麓を通り下嵐江から山入りし、秋田県東成瀬村に通じていました。
その下嵐江には渋民沢、千軒原と呼ばれているところがあります。
ココには銀山跡があり、、銀山最盛期には鉱夫の住む小屋がひしめいて
約千軒もあった所と伝えられています。
また、大正以降は営林署の事業で下嵐江から水沢まで軌道が敷かれ、
前川分校もおかれました。
有名な猿岩ずい道も森林軌道敷設のために掘られたものです。
猿岩のずい道は今は奥州湖に沈んでいます。
このように猿岩周辺には多くの人々の足跡があります。
今はひっそりとしている山奥の地にかつて多くの人の往来があったことが
とてもとても不思議に感じますが、
だからこそ人々は猿岩周辺に時空を越えた浪漫を感じるのでしょうか?
昔々から猿岩大明神と呼ばれ、
ご神体としてあがめられてきている猿岩は現在も地域の信仰をあつめています。
サルの面影をどこかにみつけられたでしょうか?
胆沢ダム湖奥州湖を眺めならが進むと見えてくるのが猿岩です。
その姿が猿の顔に似ている事から猿岩と名づけられたと言い伝えられていますが、
昔々の人々はどこからみた姿をサルと云ったのでしょうか。
石淵ダムの建設の際は猿岩に火薬を仕掛けて発破し、岩石を採取したといいますから、
昔々と現在では猿岩の様相も変わっているのかもしれません。
どこかに猿の面影を見つけられないかと思い、下嵐江展望広場に行って来ました。
右からみた横顔、市道をすすみ下嵐江展望広場がある南方向から見ています。

正面から見たお顔、奥州湖大橋を渡る手前からの撮影です。

左から見た横顔、市道にはいって間もなくの北側から撮影。

昔々、石淵ダムが出来る前のおはなし。
猿岩の麓を通る道があったそうです。仙北街道と呼んでいます。
仙北街道は、水沢で奥州街道と分岐し、現在の水沢区天文台通りから広岡線を西に進み、
供養塚から現在の国道397号とほぼ一緒に西進します。
馬留から猿岩の麓を通り下嵐江から山入りし、秋田県東成瀬村に通じていました。
その下嵐江には渋民沢、千軒原と呼ばれているところがあります。
ココには銀山跡があり、、銀山最盛期には鉱夫の住む小屋がひしめいて
約千軒もあった所と伝えられています。
また、大正以降は営林署の事業で下嵐江から水沢まで軌道が敷かれ、
前川分校もおかれました。
有名な猿岩ずい道も森林軌道敷設のために掘られたものです。
猿岩のずい道は今は奥州湖に沈んでいます。
このように猿岩周辺には多くの人々の足跡があります。
今はひっそりとしている山奥の地にかつて多くの人の往来があったことが
とてもとても不思議に感じますが、
だからこそ人々は猿岩周辺に時空を越えた浪漫を感じるのでしょうか?
昔々から猿岩大明神と呼ばれ、
ご神体としてあがめられてきている猿岩は現在も地域の信仰をあつめています。
サルの面影をどこかにみつけられたでしょうか?
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