江戸時代の肝入若柳惣之町屋敷の栗の木

2013 10 03
江戸時代安永年間から若柳村下若柳の肝入をつとめた惣之町屋敷の阿部家には
大きな栗の木の幹が残されています。
130920阿部家1栗の幹とかぶき門
幹の周りは約8m余り、現存している幹は3本のみですが、
昔はクルミの木なども含め、実のなる木が他にも植えられていたそうです。

肝入とは村役場のような役割をしていたところ、阿部家は現代で言えば村長さんを続けた家柄、
なぜ村長さんの家に実のなる木が多く植えられていたのでしょうか?

昔は豊凶の差が激しく豊作と凶作を繰り返す時代があったそうです。
凶作の年にはその木の実で飢えをしのいだと伝えられています。
現存の栗の木の幹、木は枯れ、枝も払って現在の様相になりましたが、
南からワセ、中手、おく手と実のなる時期がずれるように植えられているそうです。
樹齢は定かではありませんが、400年とも推察されます。

栗の木の幹と一緒にうつっているのは『かぶき門』と呼ばれる門です。
凶作の年などに村の人々に施し助けたことに対する
ご褒美のひとつとして阿部家に作ることを許されたといいます。

この立派な栗の木の幹やかぶき門のほかにも、古文書類が多く残されており、
現在も解読が進められている『若柳惣之町阿部家文書』はここから出されたものです。
130920阿部家2文書類 130920阿部家おひなさま
江戸から明治にかけての重要な文書が現在も大切に保管されている阿部家。
130920阿部家3書
明治時代には後藤新平らとも交友関係にあったために、彼らから贈られた書なども残されています。
130920阿部家6豊作の田んぼ
今年も稲は深く頭を垂れて、豊作の秋を迎えています。
江戸時代、凶作の年には農民を救い、飢饉に備えた証が
200年余後の今も阿部家の庭に大切に残されていることに感動した秋の日でした。
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